1995年12月15日、選手が「移籍金のいらない資産」になった日 — ボスマン判決
〜1995年12月15日、選手が自由になった〜1995年ボスマン判決は、EU域内の労働者の自由移動と契約満了後の移籍などを巡る判決です。現代のフリー移籍を理解する出発点になります。
判決が対象とした条件と、その後の制度を区別します。移籍金が不要でも、給与・契約金・育成に関する補償などの確認は残ります。
1. 何が争われたか
原告はジャン=マルク・ボスマン。ベルギーの選手です。
当時のルールでは、契約が切れた選手が他のクラブへ移るときも、移籍金が必要でした。契約が終わっているのに、前のクラブが移籍を止められる。クラブが移籍金の額に納得しなければ、選手は移れません。
ボスマンはこれを、労働者の移動の自由を妨げるものとして争いました。
裁判所の判断は明快でした。判決文の第114段落を訳すと、こうなります。
EEC条約第48条は、スポーツ団体が定める規則の適用を排除する。すなわち、ある加盟国の国籍を持つプロサッカー選手が、所属クラブとの契約満了にあたり、他の加盟国のクラブに雇用されるためには、その新しいクラブが前のクラブに移籍金・育成料・養成料を支払わなければならない、とする規則である。
出典: 欧州司法裁判所 Case C-415/93 判決文(EUR-Lex)
要点を分解します。
| 判決が違法とした規則 | 根拠 |
|---|---|
| 契約満了後の移籍にも移籍金を要求すること | EEC条約第48条(労働者の移動の自由) |
| EU域内の選手の出場人数を制限すること(外国人枠) | 同上 |
裁判所は、クラブ側が主張した2つの正当化理由も退けています。財政的な均衡を保つためという主張と、育成を促すためという主張です。判決は、それらの目的は「他の手段によっても達成できる」と述べました(第110段落)。
外国人枠についても、代表チームの強化や競争の均衡といった理由は認められませんでした。理由は、その制限が国際試合だけでなく「クラブ間のすべての公式試合に適用される」ものだったからです(第128〜129段落)。
過去にさかのぼらせなかった
判決には、実務上きわめて重要な一節があります。この判決の効力を、過去の取引にさかのぼらせないという限定です。
条約第48条の直接効果は、判決の日より前にすでに支払われた移籍金、または判決前に生じた債務にもとづいて支払われるべき移籍金に関する請求を根拠づけるために援用することはできない。ただし、その日より前に訴訟を提起していた者などを除く。
もしこの限定がなければ、過去に支払われた移籍金の返還請求が一斉に起きていたはずです。裁判所は、サッカー界が財政的に崩壊することを避けたと読めます。
2. 何が変わったか
判決以降、契約が満了した選手は、移籍金なしで欧州の他クラブへ移れるようになりました。
同時に、EU域内の選手を「外国人枠」で制限することもできなくなりました。イングランドのクラブがフランス人やスペイン人を何人使っても構わない。プレミアリーグが世界中の選手を集められるようになった起点が、ここです。
3. 3つの副作用
判決の狙いは「選手の権利を守ること」でした。しかし結果として、サッカーの経済構造そのものが変わりました。
1. 給与が上がった
契約満了後に移籍金が取れなくなったので、クラブは契約中に選手を引き止める必要が生じます。引き止める手段は給与です。
分析によれば、判決後の数年で選手の報酬は大幅に上昇し、2000年代初頭にはクラブの運営費の3分の1以上を占めるようになりました。
別記事で書いたとおり、いまのプレミアリーグでは給与が収入の65%を占めます。この比率の起点は、1995年にあります。
2. 契約が長くなった
移籍金を取れる状態を保つには、契約を長く保つしかありません。契約満了の1年前になったら売るという発想も、ここから生まれました。残り1年で売れば、まだ移籍金が取れるからです。
チェルシーの8年契約は、この延長線上にあります。もっとも、あちらは償却の圧縮が目的でしたが。
3. 育成の価値が上がった
自前で育てた選手なら、移籍金ゼロで戦力になり、売却費用等を除けば売値に近い額が利益になります。ホームグロウン制度の記事のとおりです。
判決によって「他所から買う」コストが上がったぶん、「自分で育てる」ことの相対的な価値が上がりました。
4. いまのルールとのつながり
2026/27シーズンから始まるSCRの式で考えると、ボスマン判決の影響がはっきり見えます。
スカッドコスト ÷ 調整後収益 ≦ 85%
ここでの85%は国内SCRのグリーン基準です。分母は規則上の調整後の値で、国内のシーズン中の判定では事前合意した収益等を使います。欧州大会の対象クラブは、定義・期間の異なるUEFAの70%も別に確認します。費用枠の増加は、同額の移籍金を使えるという意味ではありません。公式説明。
分子は給与+償却費+代理人手数料。このうち給与が最大です。そして給与が最大になったのは、ボスマン判決以降の競争によるものでした。
上限規制が必要になった原因の一部を、この判決が作っているとも言えます。選手の権利を守った結果、クラブ同士の給与競争が止まらなくなり、30年後にそれを外から止めるルールが要るようになった。
5. フリー移籍の現在
前に「フリー移籍は安いとは限らない」と書きました。移籍金がゼロでも、給与とサインボーナス、代理人手数料は高くなる。
そしてくり返しになりますが、フリー移籍では連帯貢献金も発生しません。育てた下部クラブには1ペニーも入らない。(→連帯貢献金)
選手にとっては最も有利で、育成クラブにとっては最も不利な移籍形態です。ボスマン判決が守ったのは選手であって、クラブではありませんでした。
6. 読むときに確認したいこと
契約年数の報道を見たら、こう考えてみてください。
- 残り2年を切った選手は、売却の候補になる
- 残り1年なら、その夏が最後の売り時
- 契約満了を迎えれば、クラブは何も受け取れない
「契約延長で合意」というニュースは、選手を引き止めた話であると同時に、資産価値を守ったという財務の話でもあります。
売却益とSCRの区別:会計上の売却益は売却額から残存簿価・売却費用等を引いて求めます。国内SCRでは規定の対象期間の純損益を3で割って扱い、UEFAも原則36か月を12か月相当に換算します。給与・償却の削減は比較期間に応じて別に計算します。国内規則 Appendix 2、UEFA第93条。
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出典
- 欧州司法裁判所 1995年12月15日判決 Case C-415/93(判決原文・EUR-Lex)
- FIFA「Regulations on the Status and Transfer of Players」(現行の移籍規則・原文PDF)
本記事は個人が公開情報をもとに作成した非公式の解説であり、いずれのクラブ・団体とも関係はありません。法的な助言を目的とするものではありません。
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